フジローヤルの歴史

戦前期(1929-1945)

1929年(昭和4年)

神戸で貿易商を営む星隆造(1892–1976)が、ブラジル・サンパウロ州政府珈琲局と、珈琲輸入契約を結ぶ。ブラジル珈琲日本宣伝本部として「ニッポン・ブラジリアン・トレィディング・コンパニィ」(大阪市北区宗是町大阪ビル5階)を、同社の機械部として「富士商会」(北区梅田新道太平ビル2階)を設立。これが「FUJI」ブランドの始まりである。

1930年(昭和5年)

1月7日、「ニッポン・ブラジリアン・トレィディング・コンパニィ」が、大阪梅田新道に「カフェ・ブラジレイロ」1号店を開く。
1月31日、東京銀座に「カフェ・ブラジレイロ」第2号店を開く。そこに入社したのが、後に、弊社の前身となる「富士珈琲機械製作所」創業者の寺本豊彦(1908–1960)である。「ブラジレイロ」の店先で焙煎を担当しながら、珈琲を学んでいた。その頃、後に「カフェ・ド・ランブル」を開く関口一郎さんとも親交があり、現在に至る「FUJI」ブランドの礎を築く。

1949-1999

1950年(昭和25年)

1944年(昭和19年)より完全に途絶えていた珈琲の輸入が再開。「富士珈琲機械製作所」(目黒区中目黒2-535)を設立。おそらく同時期に「直営 富士コーヒー ミル ロースター サービスステーション東京」(中目黒3-14-16)も設置。寺本の会社に、後の「富士珈機販売株式会社」2代目となる松本正吉が入社。

1955年(昭和30年)

4月1日。大阪支店とは別法人の「富士珈機販売株式会社」(大阪市浪速区元町5-365)を設立。初代社長は、船越嘉嗣。寺本豊彦の経営構想の中、目黒のブラザーカンパニーとして「FUJI」の使用を認められたが、会社を区別するために「FUJI ROYAL」という商標を取得。FUJI ROYALブランドが誕生する。同時期に、銀座にて名古屋以東を網羅する「富士珈業」も設立したが、長くは続かなかった。

1965年(昭和40年)

主力製品である電動ミル「R-440」の自社製造に成功。軽くて、モーターが焼けないミルとして評判になる。 大阪本社工場を本社(大阪市浪速区稲荷1-8-29)に移転。

1967年(昭和42年)

特約販売店「台湾豊潤有限公司」との取引が始まる。のちに台湾総代理店として現在も続いている。

2000-

2006年(平成18年)

「富士珈琲機械製作所」の活動停止を受けて、東京の「FUJIのブランドを守るべく東京支店(東京都中央区京橋1-4-11)を開設。厚木の東京営業所「東京ローヤルサービス」も統合。

2007年(平成19年)

3代目宮岡利治が代表取締役会長に、福島達男が4代目代表取締役に就任。社名を「株式会社富士珈機」に変更。

2010年(平成22年)

9月、足立区梅田7丁目に東京支店を移転し、焙煎体験室を開設。
最新型低温完全熱風焙煎機「FUJI ROYAL REVOLUTION」販売開始。
韓国・ソウルに「FUJI ROYAL KOREA CO.,LTD」創業。韓国の消費者向けに、販売開始。

2013年(平成25年)

目黒の「富士珈琲機械製作所」と同時期に創業した「東京産機工業株式会社」を100%子会社化する。これにより日本の珈琲業界において、最大規模にして最古の珈琲機器メーカーとなる。

2014年(平成26年)

4月15日、中国上海市閔行区(ミンハンク)虹梅南路1408弄8豪にて、中国の販売拠点となる「皇富機械設備有限公司」を開設。

2018年(平成30年)

3月20日、大阪工場竣工。